原因という名の幻想

久しぶりのブログへの投稿

最近はもっぱらLINE@の方にしか投稿してないからなぁ

しかし、今、読んでいる本は今年1番に面白い

今年もまだ、あと1ヶ月ちょっとあるが…この本の面白さを超える事はないだろうな。

ハッキリと理解は出来ないが、だからこそ面白い。
理解出来ないからこそ、そこに可能性がある…

コーチングなどで、物事には全て原因と結果があると言ったフレーズを使うのだが…
これって間違いだった。

物事には原因なんて無かった、と言うよりも原因を特定する事なんて出来ない。
何かしらの結果があって、その原因があったとするがその原因になった原因が何処かにあるわけで、するとその原因の原因の原因が出てくる。

だから、この流れを辿って行っても何処まで行っても「本当の原因」ってものに辿り着かない。
それこそ、人間1人の記憶で遡れる所になどないし、原因は一つでは無かったら、それこそ無数に広がって行ってしまう。

この世界にはそもそも原因など無く、最初から結果があるだけ。

結果だけがあるなら、ただ受け入れるだけなんだよね。
そこに幻想である原因を求めるからおかしな事になる。

原因とは言ってみれば正解探しと一緒。
正解を求める為に原因を特定したいだけなんだ。

だが、その正解とは一体誰が決めるのか?って話。
ある人にとっては正解も違ったある人には正解では無いのかも知れない。自分の都合の良い正解に妥協するだけであって、それが本当の正解とは限らない。

考えれば考えるほどややこしくなってきてしまうが、
だったら答えなど存在しないとあきらめた方がよっぽど良い。

これはFXにも当てはまる。
相場でも正解などない。だが、本当に多くの人は正解があると思い込んでいる。

そして、原因を求める。
ここでこうしなかったから負けたんじゃないか?
これをこうしておげは勝てたのか?
この数値を…ここにラインを…チャートを開くのがあと数秒早ければ…玄関開ける時にもたつかなければ…道が混んでなければ…

原因を考えたらいくらでも出てくる。
これこそ不毛な思考だ。

そこにあるのは結果だけしかないのです。

負けたという結果、勝ったという結果。
ただそれだけ。
そして、その結果をただただ受け入れるだけ。

そうすれば負けても腹も立たなければ、勝っても喜びもない。
あるのは確率に身を任せた結果というものがあるだけなんだと思う。

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