勝算はあるの?

勝算あるの?

この言葉にもの凄く、違和感を感じた。
勝算って何?何をもって勝ちだと言うのか、何をもって負けと言うのか?
それはどこの時点で分かるのか?どの時点で判断するのか?
誰が判断するのか?

そもそも、勝てると分かってたら誰だってやるだろうし、負けると分かってれば誰だってやらない(笑)
相場をやってなかったら、こういったいわゆる安定という幻想に取り憑かれたお節介な人の言葉に
耳を傾けていたのかもしれないなぁ

幾度と無く言っているが、相場にしたって人生にしたって先の事なんて分からないんだよ。

未来がどうなるかなんて誰にも分かりっこない。
勝算があるかどうか、考えたところでわからないんだから考えるだけ無駄。
じゃあ、勝算が見出せなかったら自分のやりたい事、断念するのか?
勝算とやらが分かるまで何もせずジッとしているのか?

そんなのあまりにも勿体なさ過ぎる。
時間は有限だよ?
そんなまどろっこしいことしてたら、あっという間に人生終わっちゃうよ。

人生前のめりで生きなきゃ。

ウダウダ考えてたって、面白くもなんとも無い。

全ては自分の思い通りになるのだったら、余計なこと考えずに行動すればいい。
全て自分の思い通りになんかなりっこないと思ってる人はその通りに、思い通りにならない人生になる。

たまにあなたが自分の好きなように生きることで、他人が迷惑受けてもいいのか?と、
聞かれる事があるけど誤解を恐れずに言わせてもらえば、人に迷惑かけたって良いと思っている。
なぜなら、その先が自分にとっても他の人にとっても、必ずしも不幸に繋がってるとは限らないからだ。

塞翁が馬という記事にも書いたが、今、この視点から見れば不幸に映るかもしれないが、
先の未来から振り返ればあの時、あの決断、あの行動があったからこの幸せがあるとなるのかもしれない。

そして、それは何も行動だけではない。

思考でもそうだと思うよ、「私はネガティブに考えてしまうから、それをどう考えたら」という悩みを
受けたけど、毎日がポジティブならそもそも自分はポジティブだと認識できるだろうか?
ネガティブに考える事があるからこそ、ポジティブにしようと努力する考えが浮かぶわけだ。

毎日が幸せだったら、今の幸せが幸せと感じることができるだろうか?
幸せじゃない日があるからこそ、何気ない幸せを感じることが出来るのではないだろうか?
幸せじゃない日があるからこそ、幸せになろうと成長するのではないだろうか?

ネガティブな考えがあるからこそ、ポジティブになれる。
ネガティブな自分を愛そうw
ネガティブな自分があるからこそ、ポジティブになれるんだよ。
ネガティブな自分を受け入れよう、それはポジティブに考える準備段階に入ったのだから。

だからさ、ごちゃごちゃ考えずに突っ走ればいいわけ。
前につんのめりながら、転けそうになるぐらい前傾姿勢で。
で、転けたらまた起き上がってつんのめりながらまた行けばいい。

アントニオ猪木さんも言ってるじゃない、
迷わず行けよ、行けば分かるさってねw

逆を言えば、行かなきゃ分かんねぇよって事さ。

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